宮崎駿 「となりのトトロ」 劇場作品 1988 原画
私は自然が好きです。
自然って何だ!という部分にそもそも問題はありますが、さしあたっては「農村の景観」のことを言う、としておきます。
要は田んぼと川と山と木が好きということになります。
だから私は「となりのトトロ」の舞台と故郷の風景を重ねて見ています。
記憶がすでにイメージ化してしまったことも手伝って、農作物や田園の感じが幼少時代に経験してきたことと大差ない感じになっています。
(もしかしたら、トトロの記憶もイメージの中に混入しているのかもしれません)
さて、故郷のある場所に、細い木が生えていました。
先日この木を久しぶりに見る機会がありました。
おそらく十何年ぶりとかになりますが、本当にびっくりするくらい大きく育っていました。
木が大きくなるのは誰でも知っていますが、途中経過無しで木の生長を目の当たりにすると意外と驚くものですね。
私のイメージの中の小さかった木は、途中経過を想像力で補いつつテレビ等で見る早送りの映像のように一気に生長しました。
同時に木が生きているということ、すごく大きなものであるということの実感を、私は経験として所有することになりました。ということで登場するアニメーションがこのシーンになります。
昔。
十何年後!
冒頭に載せた、「となりのトトロ」内でのぐんぐん伸びる木のアニメーション。
このシーンはもともと好きだったのですが、「イメージの中で木が一瞬で成長する」という体験のおかげでもっと好きになりました。
木はとても力強い。
大地の力が溢れるかのように、空に向かって幹を伸ばしていく。
何も無いところから、湧き上がるように木が育っていく。
木はこのようなものだから、創造、湧出みたいな イメージを受け取って、これをマナイズム的な活力に変えることができます。
昔の人が山や木に神様が宿ると考えたのは当然です。
このような木の生長の本質である生命力の創出と力の盛り上がりを、アニメーションという仕方で見事に描いたのがスタジオジブリのアニメーター・二木真希子(ふたき まきこ)です。
二木のアニメーションの特徴は、言い表すのがとても難しいです。
具体的なものではなく、まったく抽象的で主観的なものだからです。
十分な表現とは言えませんが、生き物を描くと「生命」があるように見える、というのがわかりやすいでしょうか。
そう見えるのは「生命」の根源的なものが表現されているからです。
生命あるものに特有の、手触りというか、「五感に訴えかけてくるような何か」と同じものを二木のアニメーションから感じます。
どのような「生き物の絵」でも「生命」を持った形にして見せてくれるのです。「アニメートする」という語源的な見方をすれば、当代随一の、真のアニメーターであると言えるでしょう。
「天空の城ラピュタ」シータの手と鳩
生き物は何でも上手い。
「生命あるもの」というよりも、「生命そのもの」を描くことができるので、想像上の生き物にも「生命」を与えることができます。
例えば、「風の谷のナウシカ」 の王蟲や「もののけ姫」 のシシ神様です。
(シシ神様は生命ではないかもしれませんが・・・)
「風の谷のナウシカ」酸の海の中洲
小さい王蟲の、でかい虫がそこにいるみたいな存在感。
「もののけ姫」ではシシ神様の登場シーンを書いています。
テレビCMかなんかでこのカットを見て衝撃を受けたのをはっきりと覚えています。「生命」を絵に描いて形にできるのだから、彼女の「生命」の見え方は普通の見え方ではないと思います。
視線はとても広大で、明瞭で、鋭いものに違いない。
私も自然環境という形の、様々な「生命」と向き合う立場にいます。
彼女には「生命」がどのような見え方をしているのか、非常に気になるところです。