Production I.Gというアニメーション制作会社があります。
攻殻機動隊や押井作品、現在放映中のものではうさぎドロップがProduction I.G 制作による作品です。
これらの作品からもわかるように、リアル系の作画を得意としています。
上手いアニメーターがたくさん在籍しているProduction I.G ですが、中でも段違いに上手いアニメーターが3人います。
西尾鉄也と黄瀬和哉(きせ かずちか)、そして今回の記事の主役である沖浦啓之(おきうら ひろゆき)の3人です。
あんまり上手いこの3人は、 I.G三大神という風に評されています。
三大神はみんな劇場アニメーターですが、西尾鉄也と黄瀬和哉はたまにテレビで原画を描いているためエンドロールで名前が見られることがあります。
その場合はもちろんヒャッホゥ!です。
残る一人の沖浦啓之はもう完全に劇場アニメーターで、テレビで名前を見ることはほぼ期待できません。
しかも彼は今、来年公開の劇場アニメ「ももへの手紙」の監督をしています。
ここらへんで一つ記事を書いておかないと 「ももへの手紙」を見たときに感想が書けないな。
よっしゃ、気が早いかもだけど書いちゃお!!
・・・とかなんとかいう記事を書きかけで放置していたんですが、「うさぎドロップ 第5話」でまさかの登場です。
いや、これは予想外でした
ほんとにビックリしました。
何でやねん感がハンパやないので調べてみたら、うさぎドロップはIG4課の制作らしいです。
なら納得・・・できるか・・・?
うさぎドロップは作画アニメカテゴリーに入りますね。
沖浦登場の5話と、4話でもとっても良い作画があったのでまとめて書いてみたいなと思います。
※例のごとく、担当パートは願望と記事の書きやすさに基づいた見解なので信憑性はありません。
・うさぎドロップ
4話
アバン
ジブリ出身のアニメーター・安藤雅司の作画。
たぶん。
安藤雅司はジブリ作品の作画監督で有名です。
確かもののけ姫が作画監督デビューで、その後ずっと作画監督→その後独立、というバケモンみたいな人です。
動かすことよりも絵の上手さの方により大きな才能があるんでしょうか。
安藤は5話でも描いています。
子供のためのアニメーションを!というコンセプトを明確に掲げて作品を作っているのは何と言ってもスタジオジブリです。
アニメーションで一番重要なことは観察することだ!との宮崎御大の言葉通り、ジブリ作品に登場するアニメーター達は本当に観察の切れ味がハンパないです。
よく見ていないと気づかないようなところを強調する、そんな作画がちりばめられています。
バリエーションが豊富なので、こうのような子供の集団の作画をしても画面が崩壊しません。
言葉が重複するので混乱してしまうかもしれませんが、子供の集団に特有な、集団が崩壊している様子をきっちりと描ける、ということです。
子供が喜ぶようなものを作るために子供をよく観察しているからでしょうか。
いずれにせよ子供のアニメーションが上手い人は、だいたいジブリで仕事したことがあります。
(濱洲英喜もジブリの常連ですね)
・そして沖浦へ・・・
5話
Bパート最後のシーン。
母親が電話をしているところから沖浦かなーと思います。
近めのレイアウトでデッサンっぽい動かし方、というのが沖浦っぽさを感じさせます。
座る男の動きも沖浦っぽく見える。
沖浦の名前がテレビに出ることはほとんどありませんから、ほんとに油断していました。
マジかよ!という声が出てしまいました。
いや、上手いなとは思ってたけどね。
ほんとだよ。
嘘じゃないよ。
冒頭の「ももへの手紙」まで目にする機会は無いと思っていました。
沖浦と安藤のインパクトが強いですが、本間晃、板津匡覧、井上鋭、野村和也とか、劇場アニメーターがなぜか大量に出ています。
BDでは3~5話が第2巻として出ます。
買っちゃうよねこれは。
うん。
とまあこんな感じで、今度は沖浦啓之個人の話に移っていきます。
沖浦啓之は、所謂リアル系の作画をする人です。
井上俊之をさらにリアルに寄らせた感じ、と言うのが近いでしょうか。
リアル系作画は、想像上の現象をできるだけ現実の現象として表そうとするもので、デッサンそのままな動かし方をします。
当然ハイレベルなデッサン力と、物が動くということの理論的な仕組み、さらにはアニメーションの心理的な印象操作のノウハウなんかが必要になってくるスタイルだということになるんじゃないでしょうか。
・・・といいつつ、今挙げたのは私が沖浦の画を見て感じたことなんですけどね。
まあとにかく、この辺りの表現力が世界中のアニメーターの中でも最高レベルです。
中でも最も強力なのが空間把握能力なんじゃないかな。
芝居や難しい空間表現の印象が強いので。
GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
義体ができるまでを全部描いた。
MEMORIES
こんなに奥行きの見えるアニメーションは他にない。
実写とかCGより奥行きがあるように見せている。
まじですごいので、一度見ることをお勧めします。
INNOCENCE
少佐人形が崩れ落ちるところ。
こっちもほんとすごいので、二度見しましょう。
前後のバトーと子供の芝居も沖浦らしい感じです。
極端なリアル系のスタイルということで、動きにも絵にも目立つ特徴がありません。
アニメーションが意味のある揺らぎ方をする、というのはちょっとした特徴かもしれませんが、これは動画担当のアニメーターの技術も関わってくるので、ここで見分けるのは難易度高いです。
ただ、人体の捉え方には若干の個性が見受けられます。
頭と腰は、人体の中で際立って大きい骨がある部分です。
どうもこいつらのデッサンをすごく丁寧にやってるように・・・見える・・・。
2つの大きな塊の位置関係から人体の動きを想像しているものと思われます。
・・・沖浦の特徴はなんだか書きづらいですね。
今一番上手さを極めているのは沖浦だ、と言ってしまえるし。
(上手さ≒デッサンの上手さ+それを引き立たせる嘘の上手さ、でいいと思います)
私は沖浦啓之のけっこうなファンなので、もうちょっとだけ無理してみようかと思います。
沖浦啓之とうさドロのコンボを歴史的な出来事にでっち上げてみる。
文化活動というものは、俗な表現から生じて洗練が進み、ある段階において外部から評価を受けて芸術と言われるようになります。
洗練には非常に長い時間が必要で、しかも表現者の最高峰で仕事がされ続けなくてはなりません。
そのための動機づけのあり方として、エロほどに強烈なものは無いと思います。
絵画や文学等は表現が「芸術」とされる状態まで洗練が進んでいる例になりますが、堂々とエロが登場しています。
これらのいちカテゴリーである耽美主義、デカダンスを具体的な例として挙げれば充分でしょうか。
エロティシズムにかかる表現というものは、各種の文化活動において非常に重要な位置を占めているのです。
さらに、こうした洗練が進んだ表現物の中でも、その時代の風俗を的確に表現しているものに対しては後に評価の目が向けられる可能性が高いです。
うさぎドロップの舞台設定は、
・仕事ができる男が一軒家に一人暮らし
・やむを得ない事情で、正義感から可愛い幼女と二人暮らしが始まる
・可愛いシングルマザーとその息子が、主人公(=視聴者が感情移入するキャラクター、つまり大吉)に懐くようにまとわりついてくる
というように、アニメを見る層の願望を実に巧妙に描いているものです。
自我の無い乳児時代の子供(と主人公)の成長物語がすっ飛ばされている、というのも実に男性的で巧いです。
私は今の時代の風俗をこれほど上手く表現した作品はないと思います。←アニメ作品という枠内での話です
世界レベルで技術の高い沖浦が、今の時代の風俗を最も抽出させた作品で、しかもエロを描いた(隠し味程度ですけどね)というのが今回のすごくテンションが上がるポイントです。
表現の洗練が進んで芸術のメインストリームにおいて評価が試みられるとき、この作品の名前が挙がるのは確実だと思います。
残念ながら、アニメーションは一般人からの風当たりが強いです。
文学や絵画も最初は抑圧の対象でした。
アニメーションは芸術として発展した諸々の文化活動とかなり共通した境遇にあるようです。
沖浦がエロ作画の追求もしていれば、アニメーションの評価の芸術化が早まるでしょう。
まあアニメが一般大衆の間でも芸術として認知される頃には沖浦先生はもちろん私も生きてないだろうからぜんぜんどうでもいいですけどね。
・・・ちょっとエロとの関連がぼやっとしてるかなあ。
めんどくせえからこれでいいや。
しかも担当パートの願望と合わせると本末転倒になってしまいますね。
ブログ以外の場だったら0点。
残念。
~役に立つかもしれない補足~
リアル系アニメーター
沖浦啓之の他に、大平晋也、うつのみや理、井上俊之とかがよく挙がる名前だと思います。
Production I.Gはリアル系スタイルの作品が多いです。
IG4課
Production I.Gには10の課があります。
4課は劇場作品やゲーム作品のOPムービー等を制作する、IGの最強ライン。
「ももへの手紙」もここで作っています。
劇場アニメーター
主に劇場作品で原画を描いているアニメーター。
こだわった作画や動きを追求した作画が登場しやすい。
だいたい上手い。
アバン
OP前後やCM空けのAパートとかで流れることが多い、前回の回想シーン等のこと。
一人だけ有名な人がいると、その人がアバンを一人で描いてた、というパターンが多いような気がします。
アニメ的な嘘
パースの圧縮や物理法則を無視したエフェクトといった、現実世界では起こらない現象を説得力や迫力を出すためにあえて描くこと。
何となく見ていますが、ごく一部の例外を除いて、アニメーションには嘘が混ざっています。
詳しくはアニメーションについての真面目な本とか読んでください。
これを意識して見ることがアニメーションを「表現手法」として見ることの入り口なんじゃないかなと思います。